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写真作家 村井 旬 写真を使って主観と客観との境界を行き来する作品をつくる。

東京都写真美術館 “Into the Pictures”

久しぶりにここに書いている。

恵比寿に用事があったので、東京都写真美術館で開催中の “Into the Pictures”を見てきた。内容は、夏休み期間中ということなのだろう、美術教育的な創りになっていた。

 

特筆すべきことは展示方法だった。展示されている写真作品は白マットにシルバーのアルミフレームに入れられていた。(アクリル圧着や、木フレームなど、シート単体で取り出せない作品は、オリジナルの状態のままでした。)しかもすべての作品の隣には薄いグレーの番号表記のみ。手元の資料で番号を確認することで、目の前の作品が誰によって写されたものか分からないようになっている。

 

この二つの条件を整えたことによって、写真作品の背後にあるはずの歴史や文脈、鑑賞者の思い込みなど、すべてが洗い流されていたようで、とても新鮮な気持ちにかえって作品を見ることが出来た。

 

当日は学芸員のギャラリートークも聞くことが出来た。余談だけれど手話通訳付きだった。担当学芸員の意図から少し外れている見方かもしれないけれど、写真を美術館で意識して見始めた頃の自分に戻った気がした。印象深い展示でした。

 

東京都写真美術館 イントゥー・ザ・ピクチャー

https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3050.html

講座「写真家が一番カッコよかった時代 -1960~70年代の日本写真史を紐解く-」を受けてみて

少し前にも書いたように、「写真家が一番カッコよかった時代 -1960~70年代の日本写真史を紐解く-」を受講した。これまで日本写真史について、このように教わったことがなくて、全て本と展覧会からの知識でしかなかった。たった4回だけだったことが残念に思えるくらいに、自分としては満足な内容だった。60〜70年代という、優れた写真家を多く輩出した時代でもあり、同時代についての書籍も数多くあるのだけれども、飯沢氏による写真集を教材とした話しは期待以上のものだった。作品の裏側にある、当時の人物関係の詳しい説明も興味深く、作品がどのように出来上がっていっていくのかを知る事ができた。
写真史についてついて学ぶことが出来たので、次回は美学(写真)について学んでいきたい。

おまけ
昨年観た展示の1つに会場αMがある。「αMプロジェクト2017 鏡と穴-彫刻と写真の界面」ここでのギャラリートークが動画YouTubeで誰でも観られるようになっている。

galleryalphaM 鏡と穴 で検索してもらえると見つけ出せます。

まける写真

昨日友達と入ったカフェで、いつものようにお互いの近況について話しをしていた。頼んだコーヒーを一口飲んだ後、去年見た展示についてだったり、最近見た写真集についてなど、色々な角度から最近の美術について話しあった。そんななか、ぼくが昔しに「写真は絵画などと比べて、とても弱いメディアである」ということを力説したというこを振り返るような話題が、どこからともなく始まった。僕は昔に写真と額についてリサーチしたことがある。その結果は写真は物質的な観点から判断してもやはり弱い。東日本大震災以後に現れた、数多くのドキュメンタリー作品は、そのテーマの大きさ故に強く映るがが、実は鎧に守られているのと同じことだと思う。そのようなことを言って、昨日は終わった。

一夜明けて今日、お昼ご飯を作りながら突然頭に思い浮かんだ疑問は、近年儚い画面を作り上げられている写真作家は誰か?前日の写真は弱い。勿論これとは観点が違うのだが、ここへたどり着くヒントには十分だった。では一口に”儚さ”と言っても、その表現は様々あるはず。そこで思い出した本がある。「負ける建築」隈研吾著。隈さんの本は、まだ2〜3冊ほどしか読んでいないが、とても読みやすいと記憶している。建築家の友人からもプッシュされているこの本、やっぱり読んでみたくなった。強くなきゃ意味が無い。常に強いものが評価されたバブル期。だれもが浮かれて、たまには大見得を切らなくては生きていけなかった時代。そのあ自分の弱さを認め、人々に認められる作品を作り続ける道を見つけ出せたのが著者なのじゃないだろうか。僕自身、これまで強いものを写したいと思ったことは無いのだけれど、(しかも写真の場合はその現場に行かないといけないという制約がある)弱いものを撮り続ける理由にまだ幾つものの迷いをもっている。

写真は強いのか、弱いのかは人によって考えは違いそうだ。写真というメディアの特性について長い間考えてきて、それを作品化してきたけれど、今年は強さと弱さについても掘り下げてみたいと思う。 むらいじゅん

セルフポートレート

Self Portrait 06

昨年の後半から、Facebookにセルフポートレートを継続的にアップロードしている。今のところ合計22枚、今後も継続していく予定。始めた理由は、これまで自分のやっていなかった、経験値の少ないことは何だろうと考えて見つけ出したのがセルフポートレートだった。人物は、写真にとっても、全てに表現にとって永遠のテーマ。実際に自分で自分を撮影してみると、その過程でこれまでには考えもしなかった問題を突きつけられるので、やりがいはとても大きい。絵画では自画像はかなり当たり前のことで、これまでにも会場で見る機会は数多くあった。しかし、写真で”セルフポートレート”は、書籍の著者像と同じ位、その人物の容姿を確認するための撮影しかされない。実際に自分で自分を撮影して、Facebookにアップすることの回数を重ねてみると、自分のなかに新しい観察力が成長してきていることに気がついてきた。発見!と驚いたことは、実はそれまでの自分には見抜ける力が不足していただけなのだと思う。セルフポートレートはフレッシュな気持ちが続くかぎりは、継続して、その中で知らないにぶつかったらそのたびに乗り越えていくつもり。

写真家が一番カッコよかった時代

今年後半になって写真集にまつわるものに参加する機会が増えてきている。11月より近代日本写真史の講座に通っている。飯沢耕太郎(写真評論家)による、「写真家が一番カッコよかった時代 -1960~70年代の日本写真史を紐解く」。既に半分を聞き終えた。これまで、本でしか読んだことが無かったことを、その時代に出版された写真集を開きながら当時のエピソードを聞のがとても面白い。また、自分の中に散らばっていた知識が整理され、1つの時間軸に沿って順序立てられるので、とても為にもなる。残り後2回。続きが楽しみ。

11/24 vivo(ヴィヴォ)の時代 -東松照明、奈良原一高を中心に-
12/22 provoke(プロヴォーグ)の時代 -森山大道、中平卓馬を中心に-
01/12 荒木経惟の疾走
01/26 牛腸茂雄のまなざし

展示:《ヨコハマトリエンナーレ2017ー島と星座とガラパゴス》

展示

ヨコハマトリエンナーレ2017ー島と星座とガラパゴス

 

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午前11時に横浜美術館に入って、最後のバンクアートの展示を見終えたのが午後7時でした。

1日中、ず〜っと作品を見続けて、終わりの日産アワードの頃には若干頭の中が朦朧として来ていました。

幸せな1日でした。

3年後の展示に期待。

 

展示:荒木経惟ーセンチメンタルな旅1971-2017ー

 

東京都写真美術館

《荒木経惟ーセンチメンタルな旅1971-2017ー》

 

すごく久しぶりに、荒木経惟の展示に行ってきた。

どの写真もものすごく自然に見えてしまいました。

そこはやはり天才アラーキー、鑑賞者の心に訴え掛けてきました。

次ぎの展示は・・・

《長島有里枝ーそしてひとつまみの皮肉と、愛を少々。》

どんなふうな展示にするのか楽しみです。

カセットテープ

昨日は、1日の仕事が消し飛んだ。Illustratorを使っていたら突然フリーズ。しばらく待っていたのですが、復活する様子もなかったので、強制終了をしてから、Macをリブート。いつも通りに、ファイルをオープンしたら、オートセーブ機能も止まっていたようで、ほぼゼロからの復活。瞬間凍り付いた。久しぶりに、涙と冷や汗。そこから、寝たら忘れてしまいそうだから、目薬をさしながら、全力投球。

部屋の掃除していたら、ラジオからから聞こえるラジカセコレクターの話しに、思わず手を止めて聞き入ってしまった。話しの中で、いまちょうど音楽レーベルを立ち上げる準備をしていて、発売されるミュージシャンの作品は全てカセットテープで提供するとのこと。とても個性的な挑戦。5年後には、いったいどんなふうになっているのだろうか。

ちょうど今月の上旬に録音の手伝いを頼まれて、カセットテープを手渡されました。残念なことに、手持ちのラジカセは故障していたので、あえなくデジタル録音に変更。そんな出来事の直後だったので、この番組が気になってしまった。カセットテープに対する、感覚って他の人達はどんなことを思っているのだろう。ラジオ番組内では、リスナーに向けてカセットテープに録音された音楽をラジカセで鳴らして、マイクから拾った音がスピーカーから流れてきた。十分にカセットテープの肌理を耳で感じることが出来ました。

僕にとって、この体験は昔を思い出すことだったけれど、カセットテープ未体験の次ぎのジェネレーションの人達にとって、この体験はどのように表現されるのだろう。昔に聞いた、YMOのライディーンはカセットテープだったなぁ。僕らの時代は、新しいとされるメディアが次から次へと生まれては消えてゆく活性の高い時期だったのかもしれないな。メディアアートとかもあったし。今後も、リバイバルは続きそう。

『コミュニケーションのアーキテクチャを設計する−藤村 龍至x山崎 亮対談集』

『『コミュニケーションのアーキテクチャを設計する−藤村 龍至x山崎 亮対談集』

 

著者:藤村 龍至 (著), 山崎 亮 (著)
発行者:後藤武
発行所:株式会社 彰国社
デザイナー:刈谷悠三+西村祐一
2012年発行

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また、本が届いたので、忘れないうちに書いておく。

経歴を見ると、両者とも1970年代生まれの日本人。日本の大学 を卒業した後に、海外へ留学。その次ぎに大学院へと進んで、フリーへ。藤村氏の本は、『批判的工学主義の建築:ソーシャル・アーキテクチャをめざして』を読んだことがある。僕自身も70年代生まれでもあり、もっと建築の世界について知りたくなった時に、同世代から教えてもらうのがいいのではないかと、選んだ。僕のもっと身近な写真界の中で70年代生まれの写真評論家ってどんな人達がいるのだろうか・・・。勉強不足ですぐには思いつかないけれど、そんななか新宿にある、”フォトグラファーズギャラリー”は、高い水準で継続的に活動されているのではないでしょうか。しばらく、ギャラリーへ行っていないので、また行こう。

 

ローパス・センサークリーニング

普段使っている、NikonD800のローパスに汚れが付いてきたので、無水エタノールのシルボン紙でクリーニング。だがしかし、汚れがローパス上に広がってしまった。何度も自分で試して見たのだけれど、どうにもなりそうもない。本当に困った。Nikonのサービスに持って行くのことが、考えられる一番の解決法な気がする。