まける写真

昨日友達と入ったカフェで、いつものようにお互いの近況について話しをしていた。頼んだコーヒーを一口飲んだ後、去年見た展示についてだったり、最近見た写真集についてなど、色々な角度から最近の美術について話しあった。そんななか、ぼくが昔しに「写真は絵画などと比べて、とても弱いメディアである」ということを力説したというこを振り返るような話題が、どこからともなく始まった。僕は昔に写真と額についてリサーチしたことがある。その結果は写真は物質的な観点から判断してもやはり弱い。東日本大震災以後に現れた、数多くのドキュメンタリー作品は、そのテーマの大きさ故に強く映るがが、実は鎧に守られているのと同じことだと思う。そのようなことを言って、昨日は終わった。

一夜明けて今日、お昼ご飯を作りながら突然頭に思い浮かんだ疑問は、近年儚い画面を作り上げられている写真作家は誰か?前日の写真は弱い。勿論これとは観点が違うのだが、ここへたどり着くヒントには十分だった。では一口に”儚さ”と言っても、その表現は様々あるはず。そこで思い出した本がある。「負ける建築」隈研吾著。隈さんの本は、まだ2〜3冊ほどしか読んでいないが、とても読みやすいと記憶している。建築家の友人からもプッシュされているこの本、やっぱり読んでみたくなった。強くなきゃ意味が無い。常に強いものが評価されたバブル期。だれもが浮かれて、たまには大見得を切らなくては生きていけなかった時代。そのあ自分の弱さを認め、人々に認められる作品を作り続ける道を見つけ出せたのが著者なのじゃないだろうか。僕自身、これまで強いものを写したいと思ったことは無いのだけれど、(しかも写真の場合はその現場に行かないといけないという制約がある)弱いものを撮り続ける理由にまだ幾つものの迷いをもっている。

写真は強いのか、弱いのかは人によって考えは違いそうだ。写真というメディアの特性について長い間考えてきて、それを作品化してきたけれど、今年は強さと弱さについても掘り下げてみたいと思う。 むらいじゅん

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